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一生に一度?

雪谷30期卒業:バトミントン部OB小林茂樹さんの観戦記です。

一生に一度?

私にとって、横浜ベイスターズの優勝を見ることより難しいことは、母校が甲子園に出場することであります。ま、横浜高校とか大阪桐蔭高校出身の方は別でしょうが、フツーの高校を出たほとんどの方にとってはやはり大事件に違いありません。
その大事件、4年前に起こりました。ホントに驚天動地の出来事。おそらく、一生に一度のことでしょう。

その出場メンバーも進学していればもう大学4年。すでにいろいろな人生をたどっているのでしょう。
母校野球部のメンバーで野球を続行したのは当時の主将ひとり。首都リーグの強豪日体大に進みましたが、やはり背番号はもらえなかったようです。ちなみに彼は、都立校ということで話題になったせいか、開会式の後に広陵高校の西村投手(現・読売)と並んでNHKのインタビューを受けています。

東東京大会決勝でまみえた二松学舎のエースは亜大を中退し社会人へ、安田学園の捕手は日大の正捕手、甲子園での対戦相手PLの主将は青学大に進み、この春は東都の首位打者を獲得して、日米大学野球でも全日本の主将を務めました。そして本大会で優勝した常総学院のエースは期待されて中大に進んだものの、意外なことに彼も背番号をもらえませんでした。

と、この季節になると、つい思い出にひたったり、オタク的な分析をしてしまうわけですが、当時、このコーフンを是非とも記録しておかなければと思い、書いたのが次の文章。

実は「月刊ハナタレ小僧」という極私的手動メルマガをやっていたときに掲載したものですが、読み返すと思い切り恥ずかしい。でも、まあいいかと公開する次第でございます。
ただ、異常に長いセンチメンタルな「感想文」なので、おひまな方だけどうぞ。

 暑い夏だった。
 1978年夏、東京・神宮球場。
 同級生たちが、あこがれの舞台に立った。

 制服の応援団など1人もいない。というより、そもそも当時は制服などない高校だった。思い思いに声をあげて応援する、Tシャツにジーンズ姿のふつうの高校生たちが、三塁側応援席を埋めつくした。

 夏の高校野球東東京大会、対日大豊山高校戦。ようやく、4回戦まで勝ち上がり、シード校との対戦にこぎつけた。5年前の硬式野球部再建以来、公式戦の勝ち星がなかったことを考えると大躍進だ。

 当時、東東京予選は、神宮をメイン球場に、神宮第二、駒沢球場、そして今はない早大安部球場を使用していた。くじ運にもよるが、神宮で試合のできる東京の球児は、今も昔もほんの一握りにすぎない。

「4回戦まで勝って、神宮だ!」
 教室の後の古びた黒板に誰かが書いた文字は、この夏のあいだ、消されることはなかった。

 1回の表の攻撃、三塁打と連続スクイズで一挙4点をあげる。
 観衆の誰もが、シード校を倒す弱小チームの奇跡を予感する。
 しかし、主戦投手は毎回のようにピンチを招き、小刻みに得点を返されていく。連投の疲れは、誰の目にも明らかだった。
 8回裏、日大豊山の攻撃、ランナーは一・三塁。一塁ランナーがスチール。キャッチャーの送球は、センターに抜けた。あるいは、ダブルスチールをかけられたのかもしれない。しかし、ボールはバックホームされることなく、三塁ランナーは、こころもちゆっくりとホームインした。
 守備に散っていたナインが、うつむき加減でホーム前に戻ってくる。

「ゲームセット」
 主審の右手が上がった。

 三塁側の応援席は、一瞬の静寂につつまれた。そして「えっ?」というどよめき。
 スコアは4対11。7回終了後、7点差がついたサヨナラのコールドゲーム。

 野球部員にとっても、お気楽なクラスメートたちにとっても、この瞬間、高三の夏が終わった。応援席にいた私の夏も終わった。その証拠に、高校生活の記憶はここで途切れている。

 それからみんな、どのような人生を歩んだのだろうか。
 あの夏、高校三年だったやつらは、今年43歳になるはずだ。

 2003年7月29日、雨上がりの神宮球場のバックネット裏に私はいた。プロ野球や大学野球の観戦では、数え切れないほど訪れた場所だが、ここで高校野球を見るのは、あの夏以来のことだ。

 映りの悪いUHF局の中継を丸4時間凝視していたのは、その2日前。準決勝に登場した「遅球」のエースとバックの驚くべき粘りに、涙腺がゆるみそうになる。ちばあきおの『プレイボール』という野球マンガを思い出す。夏休みで家にいた子どもの手前、「だけど、これじゃ負けちゃうだろうな」と、幾度も呟きながら、期待感は隠せない。

「無名の都立、よく頑張った!」という、マスコミによる敗者へのステレオタイプのねぎらいの言葉が、頭をよぎる。相手は、あの阿部慎之助を輩出した名門安田学園。今年のキャッチャーも、ドラフト候補に挙げられている。「勝つわきゃねえよ」と自分に言い聞かせる。野球名門校の出身者には、この屈折した気持ちはわかるまい。

 延長13回、14対12。

「勝った!」

 もう、我慢できない。決勝は神宮に行くぞ。

 試合開始後、ほどなくして神宮の内野席は満員になった。三塁側応援スタンドはたいへんな盛り上がりだ。しかし、あえてネット裏で見ていたのには、自分なりの理由があった。一つは、あくまで「冷静に野球を見るために」ということ、そしてもう一つは、野球部OBでもないのに、調子のいいときだけOBづらして応援することが後ろめたかったことだ。つまらない美意識ではある。

 夏の大会の予選は、野球部の体裁さえ整っていれば、どの学校も出場できる。だから、組み合わせによっては、無惨なほど実力差のある学校の対戦がしばしばみられる。

 予備知識なしに対戦校の実力を見きわめるには、試合前のシートノックやボール回しを見るのが一番だ。スピード、正確さ、ゲーム慣れなどが一目瞭然となる。もちろん、先発投手の投球練習も参考にはなるが、チーム全体としての実力はノック時に表れる。つまり、弱い高校のシートノックはまるでしまらないし、それだけで内野の「穴」がわかってしまう。強いチームのそれは、相手ベンチを威嚇するに十分だ。往々にして、弱小チームはこの時点で精神的に呑まれてしまう。

 決勝の相手、二松学舎大附属のエースは、東東京最速を誇る右腕。もちろん彼もドラフト候補生だ。チームとしても、昨春センバツ大会に出場するなど、ビッグネームであることは間違いない。

 わずかなノックの時間、目をこらして見た。ところが、どうも硬い。うまいのだが、どこか動きがギクシャクしているのが、シロウト目にもわかる。これに対して、チャレンジャーのノック風景は、なんとなく楽しげだ。ボール回しにも力みがない。あまりうまく揚がらない締めのキャッチャーフライが、ナインの微苦笑を誘う。リラックスしている。

「これは、ことによると、いけるかもしれない」

 膠着状態は8回まで続いた。両校とも、ランナーを出すのだが、決定打が出ない。
 そして、0対0で迎えた9回表、試合は動く。
 奇跡は起こった。長短打をつらね、相手のエラーを誘い、ダブルスチールも大舞台でやってのけた。相手のミスにつけこむ試合運びは、まるで強豪校だ。一挙5点。試合を決めた。

「ゲームセット」

 熱狂状態は三塁側だけではなかった。バックネット裏もその渦に呑み込まれている。もちろん、私もその中にいる。

「ほんとにやつらは甲子園出るのか?」
「だって、勝ったじゃん」
 アホのような自問自答。

 わかっていながら、スコアボードを見つめ、得点を確認しなおす。
 また、涙腺が危ない。年はとりたくないもんだ。

 帰宅すると、メールや電話がいつになく多い。

「おめでとう!」
「ありがとうございます」

 いつからおまえは野球部関係者になったんだ、と自分で自分に突っ込みを入れる。
 もう、カッコつけずに、応援するしかないじゃないか。

 8月9日午後7時、台風10号が過ぎ去った直後の新宿都庁前地下駐車場は、むせかえるような湿気と排気ガスの匂い、そして異様な熱気につつまれていた。

 応援ツアーの夜行バスの集合場所である。もろもろの都合で、そのバスには1人で乗り、現地で悪友たちと落ち合う手はずになっている。OBの乗るバスは、卒年次別にまとめられているようだ。知っている奴がいるかな、と、いい年をして、期待と不安が交錯する。

 わからない……、あれっ、たしかあいつは……。
 おそるおそる、声をかける。

「あの、M君だよね」

 それはまさしく、あの25年前の野球部メンバーだった。
 それとわかり、再会と母校の甲子園行きを祝して固い握手。けれども、まだ、敬語混じりで、お互いに何を話していいかわからず、言葉少なだ。

 午後8時に出発したバスは、翌朝10時頃、甲子園球場に到着する。深夜の東名・名神を西にひた走る。狭い座席、2時間おきのサービスエリアでの休憩と時間調整。40歳を越えた身体にはけっこうきつい。眠いのだが、まず眠れない。
 未明、琵琶湖にほど近いサービスエリアに着く。
 近畿中心部に着く前の、応援バスの最終集結地点のようだ。この日の第四試合に登場する横浜商大高の生徒がたくさんいる。これから試合開始までどのくらい待つかを考えるとちょっと気の毒になるが、みんな元気だ。さすが現役高校生。

 元野球部のMは、ぼそりと言った。
「同じ学校の野球部というだけの話で、俺らとは全然違うんだよな。あの人たちのやっている野球は……」

 自分の子どもといってもおかしくない年齢の後輩を「あの人たち」と呼ぶ、Mの心情はよくわかる。もちろん、Mにしても心からうれしいだろうし、誇らしげな気持ちには変わりはないだろう。けれども、甲子園まで勝ち進んだ後輩たちが少し遠くに感じられるというのも、また事実なのだ。

「カミさんが言うんだよ。また、お父さん野球行くの」って。
 Mは、少しさびしげに笑った。

 さまざまな思いを乗せて、バスは甲子園に向かって走る。

 午前11時、私も、Mも、スタンドを埋める5万3千人の中の1人、遠くから見れば赤い点の一つになった。体感温度は、37、8度ある。
本物の夏の甲子園だ。「冷静に野球を見る」ことなど、どこかに置き忘れた。

甲子園一生に一度

 初回、相手のクリーンヒットとエラーで3点を先行され、苦しい立ち上がり。遠いアルプススタンドからでも、地に足がついていない選手たちの様子が感じとれる。

「勝たなくてもいい。たのむから、甲子園を、野球を楽しんでくれ」

 9回裏、1アウトランナー一塁、4番打者はヘッドスライディングも空しく、投ゴロ併殺に倒れる。
 13対1。午後1時20分。名門PL学園に屈した、わが母校の野球部の夏は終わった。

 そして、今年43歳になる、中年男たちの夏の宴も終わった。
 結局、どんな仕事をしているのか、卒業してからどうしていたかを、Mと話すことはなかった。アドレスも交換しなかった。

 けれど、これでいい、という思いがある。また神宮のスタンドで、あるいは、何年かしたら甲子園で会えると思うから。
 みんなに特別な夏をくれた、見知らぬ後輩たちに感謝したい。
 俺たちは、いつまでも忘れないからね。

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