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素晴らしい後輩たちへ-1

素晴らしい後輩たちへ—雪谷高校野球部OBの手記(1)神宮球場にて

 後輩たちが、僕らに夢をかなえてくれた。硬式野球部ができて30年、雪高の野球がついに甲子園にたどりついたのだ。

 僕が雪高に入学したのは、1989年春のことだ。有名私立高校のまるで軍隊のような野球がいやで、自由な野球に憧れて、雪高を選んだのだ。雪高は、すでに都立高のなかではそこそこの実力校だったが、有名私立高との間には大きな差があった。短い練習時間、狭いグラウンド、限られた予算など、ハンディはいくらでもあった。しかし、何よりもつらかったのは、有力私立高は僕らのような無名高とは練習試合を組んでくれない、組んでくれても出てくるのは二軍、という現実だった。いきおい、僕らの目標は有名私立高を倒すことになってくる。

 とにかく走る、それが雪高の野球。甲子園に少しでも近づくために、ダブルスチールや2ランスクイズを繰り返し練習したものだ。最後の夏となった73回大会では、ベスト8に進出することができた。もちろん僕らにとって甲子園は夢の場所で、「ここまできたら、後はオマケだ」と当時の後藤進一監督が言ったのを覚えている。準々決勝では修徳高に[5-11]で敗れて、僕らの高校野球は終わった。

 その後、相原健志監督が率いる77回大会では雪高はとうとうベスト4まで進んだ。そして今年、僕らは信じられない思いで後輩たちの快進撃を見守った。東東京大会決勝の前日、プロも注目する二松学舎エースの速球に慣れるためにピッチングマシンの球速を160Km/hにセットして、打たずに球を見続けたときいて、膝を打った。僕らも修徳戦を前にピッチングマシンのスピードを150km/hに上げたものの、闇雲にバットを振っていたのだ。これこそ、ベスト8と優勝の差を象徴している。

 7月29日。蒸し暑い神宮球場のスコアボードに16個のゼロが並んだあと、待望のタイムリーが出た。そしてダブルスチールで3点目を決めたとき、そこには僕らと同じ雪高野球部の血が流れていることを感じ、胸が熱くなった。タイムマシンに乗って18歳の夏にもどって偉業を成し遂げた後輩たちと戦ってみたい、歓喜渦巻く神宮のスタンドで僕はそんな夢想にとらわれた。

 勝つために甲子園に乗り込むという意気やよし。「雪谷イプシロン」というチームで今も草野球を楽しむ雪高野球部の同期と一緒に、後方支援部隊として甲子園で過ごす夏。野球が、そして素晴らしい後輩たちがプレゼントしてくれた夢の時間がいま始まろうとしている。

都立雪谷高校野球部OB 19期 若林 雄一
【当時NumberWebに掲載された手記】

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