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素晴らしい後輩たちへ-2

素晴らしい後輩たちへ—雪谷高校野球部OBの手記(2)甲子園球場にて

 1973年の夏、僕らがたどり着いたのは神宮球場だった。

 それは硬式野球部がない雪谷高校に入学して3回目の夏。後輩たちを巻き込み、周囲を説得しながら硬式野球部を立ち上げるのに2年かかったということだ。高校野球で最初の試合は僕らにとって最後の夏だったのである。東京都予選の一回戦は都立文京高校との対戦だった。極度の緊張と興奮のなかできいたプレイボールのサイレン。守備の乱れから初回に4点を献上し、挽回できぬままに[3対7]で敗退した。わずか1試合で終わったあの夏から30年、僕らの後輩たちはついに甲子園に立った。僕らが神宮に標した小さな一歩が、聖地へとつながったのだ。

 2年前のことだったと思う。相原監督が当時開いていたバーに僕らOBで出向いたことがある。「甲子園は手の届くところにある。どうか力を貸してもらいたい。」と相原監督は熱っぽく語ったが、僕らは日々の雑事に追われ、十分な支援をできずにいたことを申し訳なく思っていた。それが甲子園出場という快挙を境に、1期から30期までのOBが一本の線でつながったのだ。僕の電話は鳴り続け、メールがどんどん届き、わずか一週間の間に支援体制ができようとしていた。

 8月10日、素晴らしい後輩に導かれてアルプススタンドに陣取った僕らは、夢見心地で後輩の勇姿を眼で追い続けた。ぬけるような青い空と入道雲、容赦なく照りつける灼熱の陽光、立錐の余地もない巨大なスタンド、地鳴りのような歓声と応援合戦、そして広大なグラウンドを転がる白球・・・・・・。夢にまで見た甲子園が眼前に現出している、僕がイメージしたとおりに。

 かつて仲間と「初回の守りがポイントだ」と言葉をかわした直後、PL学園に先制パンチをくらった。瞬く間に3点を失ったシーンに、バント処理で尻餅をついた30年前の自分たちの姿をだぶらせた。エラーをした、暴投もあった、快打が出た、連打を浴びた。後輩たちのプレーひとつひとつを脳裏に焼き付けていった。台風10号に東東京予選での勢いを吹き飛ばされてしまったかのような試合ではあったが、あのPL学園に臆するところなく挑んだ後輩たちは光り輝いていた。

 「悔しいだろうけど、頑張ったね。凄かったよ。君たちに元気をもらったよ。お疲れさま。そしてありがとう!」後輩たちにかけられる言葉は、恥ずかしいぐらい月並みなものでしかない。しかし、決して忘れることのできない特別な夏だった。

都立雪谷高校野球部OB 1期 宮本 一夫
【当時NumberWebに掲載された手記】

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